Media Room

07/05/2001

[Colon: 日米間の就職事情の違い]

日本を離れアメリカに一定期間暮らしていると、多くの人間が帰国か在留かを迫られる時が来る。学生であれば卒業時、駐在員であれば帰任時である。他にも Visa Status の問題や将来に対する不安など、自国に住んでいれば考えもしないようなことで悩んだりもする。 卒業シーズンにあたり、アメリカでの就職や帰国就職を考えている新卒の方も多いことであろう。そこで、今回は新卒向けに日米間の就職状況の違いをまとめた。 アメリカでは、新卒でも人材紹介会社を通しての就職活動が一般的だが、日本では人材派遣法等の法律が厳しい時代があり、新卒が紹介会社を通して就職することは不可能であった。しかしながら、ここ数年来の派遣法緩和に伴い、人材紹介会社への規制緩和の波がようやく訪れ始め、アメリカ並みに自由な就職活動の幅が広がりつつある。今後もこの規制緩和の波が引くことはないと考えられている。 日本の古い雇用慣習として、企業が新卒採用に関して人材紹介会社を利用するケースは少なかったが、年功序列や終身雇用制が崩れ、社会構造、産業構造の変化が始まり、日本もアメリカの方式に近づいているのが現状である。それに伴い、今まで以上に紹介会社を効率的に利用して人材を募集するという動きが盛んになってきている。最近のトレンドの一例としては、派遣社員から正社員への登用がある。特に、新卒採用は「紹介予定派遣(テンプ・ツー・パーム)」という形を使った方法が急速に注目され、利用する企業が増加している。 「紹介予定派遣」 とは、”Temp to Full” としてアメリカでは既に広く一般に普及している制度で、派遣スタッフとして一定期間企業で働いた後、本人と企業の双方の希望が一致すれば、企業の直接雇用に切り替わるというシステムである。日本では、派遣職種の原則自由化を柱とする「改正労働者派遣法」と「職業安定法」の一部改正を受けて、これまで事業を区別して行うべきとされていた、派遣事業と紹介事業の兼業要件が緩和され、その結果新たに紹介予定派遣が昨年12月より解禁されることになった。期間は通常1ヶ月から最長1年で、企業側も働く側も、正社員になることを前提とした一定期間の派遣契約である。派遣期間中に、求職者はその企業や仕事が自分に適しているかどうかを判断でき、企業も求職者の能力を見極めることができることから注目されている。企業は、ニーズに合う人材を採用できると同時に、求職者も自分に適した仕事を選べるという観点から今後益々着目されるであろう。  帰国就職に成功するために大切なことは、帰国前にしっかりと準備を進めることである。これは新卒に限らず全般に言えることだが、「自分が帰国するまでは何もできない」と思われがちである。しかしながら、履歴書の作成や情報収集はアメリカに居てもできることであり、帰国前に自分のキャリアを生かせる企業はどこなのかを知るのも大切なことである。 将来的に紹介予定派遣は増加するであろうが、現時点では新卒採用に関しては紹介会社を通さない企業も多数ある。日本にある米系コンサルティング会社を一例にとると、新卒、第二新卒に関しては、Web 経由で応募者を募集する。その後セミナー参加→適正検査→グループ・ディスカッション(あるテーマを与えて6名ほどでディスカッションを行う)→マネージャー面接→パートナー面接というプロセスをとっている。随時募集しているわけではないので、応募時期を知る等の情報収集は必要不可欠ある。    日本で就職する心構えとしては、アメリカの常識をそのまま日本に持込まないということこが挙げられる。アメリカで大学を卒業したという経歴は、企業側から見て喜ばれる場合とそうでない場合がある。英語力やスキルは買うが、アメリカンナイズされた人材を嫌う企業もあるので、気をつけなければならない。また、アメリカの大学を卒業したというだけで、オーバークォリファイドと判断されることもある。また、外資系で勤める場合、英語に関してはいわゆるブロークンイングリッシュではなく、文法的に正しい、きちんとした文章を書ける能力が望まれる。ただ、英語力のみが重宝される時代は終わり、他にスキルを持っていることがより求められる。 アメリカで就職後、将来的に帰国を考えている場合は、日系企業での経験は確実なキャリア・アップにつながる。時代の流れの先であるアメリカ社会を知り、現地の企業を知る人材は日本の企業でのニーズも高まるであろう。アメリカにある日系企業で勤務することにより、日本の企業文化、日本的な組織とは何かを学び、一方でアメリカのビジネスの方法を習得することは将来強力な武器となるはずである。 過渡期を迎え、企業も試行錯誤を繰り返している。企業がどのような雇用戦略を持っているかを知っているコンサルタント、すなわち人材紹介会社を通して就職活動することはアメリカ、日本のどちらに活躍の舞台を置くにしても非常に有効であり、企業サイドを熟知している優秀なコンサルタントを活用することが、就職への成功の早道である。 最後にケーススタディとして成功例を挙げる。 百合川政子さん(仮名) 28歳の場合 バックグラウンド 94年4月に米国アラバマ州の大学にて学士号取得。 Business Administration専攻。 卒業後ニューヨークで就職活動を始め、現地の人材紹介会社を通して95年春に日系大手銀行に就職、約3年間米国の日系企業向け融資の営業補佐として勤務。主に駐在員のアシスタント業務を行う。その後別の日系大手都銀に転職し、Credit Analyst / Sales として、財務、企業分析など前職から更にステップアップした業務を担当。同時に、顧客のニーズを調査するなど営業業務も任される。同行には2000年10月まで勤務。 帰国の理由 永住権の申請は行っていたが、現行のH1-Bビザが切れるまでの取得が見込めず、当時の移民法では米国滞在が困難であると判断し日本帰国を決意。 就職までの経緯 帰国を考え始めた頃、ブルンバーグのユーザー・ディレクトリーを見た日本国内のヘッドハンターより連絡があり、仕事を紹介される。それと同時に友人の紹介で日本の人材紹介会社2社にコンタクトする。外資証券会社2社、米系銀行1社よりオファーを受け、最終的に米系の大手証券会社への就職を決意。2000年11月に帰国し、直後に勤務開始。 面接はいつからして何回で決まったか 第一次は電話面接。一度に4人から5人とインタビュー。その後実際の面接は日本で行われ、最初の会社と面接が設定された際に他の2社とも面接を行った。面接は英語、日本語の両方で行われた。一時面接から最初のオファーを受け取るまで1ヶ月。他の2社とも話しが進行中だったので、紹介会社にその旨伝えたところ、通常採用まで3ヶ月かかると言われていた2社共からその後すぐオファーを提示される。 どのような人材が求められたか 3社とも性格重視だった。何を今までしてきたかというよりも、今後どのようなことを行いたいか、どのようなことができるか、などを問われた。最終的に受諾したポジションも、今まで行ってきた業務の延長ではなく、自分が将来就きたい職のCareer Pass になるものであった。向上心を見せることが大切。 条件交渉で大事なこと 日本にある外資金融に関しては米国の日系マーケットの常識は当てはまらない。安く買われないよう注意が必要。驚くほど高い給与を提示されることもある。現在の自分の年収を円換算で提示する際は、為替レートにも気をつけること。 給与の推移 $25K(大学卒業後の初任給)→ $65K(転職前の年収)→1,200万円(推定)多いという。